適正価格とは何か

日本で録画してDVDに焼いておいてもらったテレビ東京カンブリア宮殿」の年末スペシャルを見た。
ゲストはスズキの鈴木会長、OKマートの飯田社長、メガネ21の平本会長の3名。
ネアカの3人のやりとりはそれだけで面白いし、示唆深い。


その中で鈴木会長が「適正価格って一体なんなんですかね?」と問題提起をしていた。
村上龍が自らの経験も踏まえ、返して曰く
「消費者個人個人がそれぞれの商品に対して自分なりの適正価格を決めているんじゃないか」


なかなか味わい深い議論。
確かに言われてみればその通り。どこに重きを置いてお金を使うかはひとそれぞれ。


特に日本では、
ここ数十年国民総中流でほぼ横並びの収入・価値観を持ってやってきたため、
これまでは供給側も横並びの商品・サービスで事足りた。というか広がりえなかったのだろう。
ヴァンヂャケットは20年近くに渡って一世を風靡したが、
そこから別勢力が派生して台頭するというようなことはなかなか起きなかった。
それが収入格差の発生、価値観の多様化などによって、
各消費者のお金の掛けどころのパターンも多様化し、
同じ商品でも様々な品質・価格の組み合わせがなされるようになってきた、ということなのだろう。


とするならば、
こと日本においては、
「富裕層ビジネス」といった切り口はイマイチうまくいかない、というのも納得できる。


ヨーロッパなどのように貴族・華族のような代々続くような富裕層が一定規模いる社会であれば
何を買うにも大盤振る舞いのような人たちであることを前提にした商売は成り立つが、
所詮、日本人の富裕層の多くは総中流組から派生したもの。
全部が全部大盤振る舞いをするほどではないだろうし、
資産は増えてもビヘイビアはそこまで簡単に変わらないということもあるだろう。
同じ「富裕層」でもお金の使いどころは人によって異なっている可能性が高い。


そうすると「富裕層」という大括りではマーケットを掴みきれないということが起こる。
特定の嗜好品についてはお大尽的なお金の使い方をする人が
日常生活ではチマチマ小市民的な購買行動をするということがありうるし、
日本のような経緯を経て成立してきたマーケットでは、よりそういうことが起こりやすいような気がする。


ただ収入・資産等の情報だけでセグメント化するのではなく、
個人の嗜好性パターンまで含めて考えないと、
日本市場ではうまくいかないのかもしれない。