運命の歯車

というものは静かに回りだすものらしい。

回りだしたときには気づかず、もう止められなくなってから回りだしたことに気づく。

そして、自分が予想だにしていなかった方向へと「人生」という名の機械仕掛けの車が転がっていく。

回りだすきっかけなんてものはいつも実に他愛もないことだったりするのだが、

回りだしたが最後、もう車は止まらない。

たとえその動きを誰も望んでいないとしても、

全てを踏み潰して車は自分の知らないどこかへ向かう。

抗うことは不可能。

そして俺も敢えて抗うことはしない。

それがめぐり合わせというものだと思うから。


今まで幾度か歯車が動いている音を聞いた。

そして動き出した車が俺の中のいろんなものを踏み潰していった。

そのひとつひとつは実につらく哀しい想い出。

いつしかその哀しみを乗り越えるために、俺は「覚悟」ということを考えるようになった。

でも俺はその瓦礫の下から見つかる宝物があることを信じている。

本当に大切なもの、守りたいものは潰れないということを信じている。

だからこそ今を生きる。


またどこかで歯車のきしみが聞こえ始めた。

既に覚悟は出来ている。


激動の6月がもうすぐ終わる。

(2004.6.29の日記より)

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大学院時代に自分で書いた文章の中で、最も好きな文章のひとつ。

人生流転。
根津のモスバーガーもすでにない。
またどこかで歯車が回っている。
思えば、あの瞬間が自分の生き方自体の転換点だったのかもしれない。

人間万事、塞翁が馬。
今という時間を攻めるべし。

うーむ

来週ゼミなのだが、いまいちやる気になっていない。
一応中間発表なのである程度形にしないといけないのだけれど。
ま、頭の中ではほぼ固まりつつあるのだけれど、レジュメに書き起こす気が出てこない。


そんなわけで現実逃避の一環として北海道旅行記を書いてみたり。
ま、気長にちょこちょこね。


遅めの夕飯を作っていたら、突然TGのカネコが訪ねてきた。
妹との待ち合わせまで時間があるから飯食いに来たようだ。
いろいろとくだらん話をしながら飯をつつく。
初めは原宿まで迎えに行くとかいう話だったのだが、本郷三丁目まで来るというので駅までお出迎え。去年、裏久保とのチャリンコツーリングに行くときチャリンコをカネコ家に運んだとき以来の再会でした。
よく考えたらこのコ、中学1年生くらいのときから知ってるんだよな、と思うとなんだか隔世の感。
時が経つのは早いもんです。


それにしても友達の家族からあだ名で呼ばれている俺ってなんなんだろう?
ちなみに高校時代の先生(漢文購読会の先生)の娘(小学生)からもあだ名で呼ばれてます(笑)

高校生クイズ

今日、TVで高校生クイズをやっていた、、、ようだった。
ようだった、というのは別に見ていないから。


実は俺、バリバリのウルトラクイズ世代なのだ。
小学校のとき、毎年最も楽しみにしていた番組は「アメリカ横断ウルトラクイズ」だった。
周りにもそういう友達が何人もいて、昼休みはオープンスペースでクイズをやっていた。
クイズと言っても、最近よくあるようななぞなぞみたいなクイズではなく、れっきとしたウルトラの過去問ばかり。やってた自分が言うのもなんだが、相当マニアック。
よく人に「いろんなことよく知ってるね〜」と言われるが、実はその半分以上はウルトラクイズから得た知識だったりするのだ。
俺の雑学好きはウルトラクイズが原点。
当時の憧れの人は第13代王者の長戸(長門かも)勇人だったなぁ。
誰それ、と思う人も多いかもしれないが、ウルトラクイズファンの間では相当の有名人。
この第13回大会はウルトラクイズ史上最もハイレベルな戦いだったことで名高い。
勝戦の長戸vs永田の一進一退の激闘はいまだに記憶に残っている。
ちなみに、惜しくも長戸に敗れた永田は第14回大会の優勝者なので、激戦だったのも頷ける。
ま、個人的に一番印象に残っているのは、準決勝の最後で永田が「とーちゅーかそー!(冬虫夏草)」と絶叫して勝ち抜ける場面なんだが。


で、ご多分に漏れず、ウルトラクイズに出場することが夢だった。
その前段階として、当然高校生クイズにも出場した(高2・高3時)。
ま、どちらも予選落ちだったけれど、高3のときは13問目くらいまで行った。
俺が出た頃は既に福澤朗アナに変わっていて、決勝戦有明コロシアムだったけれど、一番よかったのはその2年位前までで、司会が留さん(福留功夫アナ)で決勝戦が富士山山頂だった頃。
当時の高校生クイズはまさに「知力・体力・時の運」だった。
問題はウルトラクイズの形式を踏襲して、相当ハイレベルなものだったし、出題者(留さん)の読み上げ技術もまたハイレベルだった。山登りをしながらクイズをやるから体力がないとついていけないし(青森代表・弘前高校(たしか)の生徒が途中脱落をしたのがきっかけでそれ以降富士山決勝は中止になった)。
知力・体力を充実させた上で臨む、まさに甲子園のようなものだった。


その頃高校生クイズの頂点を目指していた人間から見ると、今の高校生クイズはとてもではないが、見られない。
「知力・体力・時の運」とは名ばかり。ほとんど時の運だけじゃねぇか。あんなの芸能人にやらせておけばいいんじゃないの、と思う。
知識偏重とかいう批判が出てきて、誰にでも優勝のチャンスができるように、と方針転換したという話だったけれど、ほんとくだらない。
そんなことを言い出したら甲子園だって体力偏重・技術偏重じゃないか。
自分のスキルを磨き上げて臨む場所だから尊いのに。
甲子園だって、どんな体力も技術もない高校でも優勝できるようなシステムを取り入れたら途端に面白くなくなるだろうに。
そういう意味で、日テレは高校生クイズという文化を創ることを放棄して、視聴率に走った。俺はそう思っている。思えばあの頃から日テレの凋落は始まっていたのかも。


ちなみに、俺が大学生になったとき、既にウルトラクイズは終わってしまっていた。
一回だけ復活したときがあって、そのときはちゃんと出場した。
予選落ちではあったけれど。
でも、あれはやはり俺の夢舞台だった。

天塩川3日目(停滞)

音威子府上陸地点

強い雨は未明まで続く。
断続的に起きながら、浸水の処理。
ただ朝になって雨は弱まり次第に止む気配。
停滞する気満々でいたので、やや拍子抜け。
とは言え、当然気温も低く、まだまだ天気はぐずつきそうだったので、強行はせずにやはり停滞。


昼前から雨は完全に止む。
いろいろ考えた末、先にバイクを取りに行ってしまうことにする。
明日の夕方からは完全に天候が崩れるようなので、最終上陸地を天塩中川から一駅手前の佐久に変更し、そこまでバイクを持っていってしまうことにした。
電車に乗って名寄へ戻る。
電車に乗っていると、結構な距離を下っていたことに気づく。
まだ空模様が怪しかったので、タクシーで出艇地点の橋まで行く。
雨雲と追いかけっこしながら、いったん音威子府のテントまで戻る。
なにせ列車の本数が少ないからそのまま佐久に行っても結局列車待ちなのだ。
時間を見計らって佐久へ移動。
結局列車は10分待ち程度で済んだ。


テントへ戻ってきて、しばらく電話などしていた。
その後、遅めの夕食の準備。
この日はお手軽スパゲッティだった。

天塩川2日目

川面に映える月(昨夜)

朝起きるといい天気。
ただ午後辺りから天気が怪しくなりそうな予報だったので、ちょっと早めに出艇準備。
朝の散歩がてらカヌーポートに遊びに来たおじさんが2人(別々)。
一人目のおじさんは俺のカヌーに興味津々。
このおじさんもそうだったのだけれど、ソロツーリングをしているとよく「寂しくない?」という質問をよくされる。
そこはかとない寂しさがソロツーリングの良さだったりするのだが、大勢でいることに慣れてしまっている人にはなかなかその感覚をわかってもらえないんだろうなぁと思ってみたり。
「ない」ということは、その実、空白をさまざまに埋められる可能性を持っている。
色即是空、空即是色。
孤独であるがゆえに見えるものというのもあるのだと思うんだけどな。


いい気分で川を下る。
途中から天気が急変してきて、小雨になる。
小雨の中のカヌーというのも実に風情があるものだった。
パドルを漕ぐ手を休めて聞き耳を立てると、不思議な音の世界が広がっていることに気づく。
心地よい時間。
昼飯は天塩川温泉の川の駅にて。川の駅と言ってもなんか建物があるわけでなくて、ちゃんと上陸ポイントが整備してあるという程度のもの。カヌーの盛んな天塩川であればこそ。
ここはすぐ上に天塩川温泉があるので、雲を見上げつつ迷った末にやっぱり入りに行く。
戻ってきて、すぐに出艇。
一路、音威子府(おといねっぷ)へ。


夕刻、無事上陸。
ただ、夜半から明日いっぱいにかけて大雨という予報なので、カヌーは完全に引き上げて停滞準備をする。
セイコーマートに行って雑誌を買い込んでみたり。


夜半から大雨。
メンテナンスを忘れていた継ぎ目から雨水が流れ込む。
そんな浸水と戦いながら、眠りに入る。

天塩川1日目

名寄出艇!

大ちゃんは一足先に札幌へ向かう。
俺は例によってだらだらと出艇準備。
バイクは橋の下に放置して10:00出艇。
多少濁りが強いけれど、雰囲気はある川だな、というのが第一印象。
名寄川が合流して以降、しばらくの区間はちょっと臭気もあったのだけれど、いつの間にかそれも消えていた。
進めば進むほど川がきれいになっていく印象を受ける。
名寄以降、大きな町がないからだろうか。
それにしても、周りに何もないし、誰もいない。
いるのは鳥さんたちばかり。
だいたいカモの類(だと思う)。
面白かったのは、彼らが水面をダッシュしていく風景。
たぶんこのフネを警戒して逃げているのだと思うのだが、飛ばずに水面をダッシュするのだ。しかも100mくらい。
それを十数羽一斉にやるのだから、見てる方は面白くてしょうがない。
しかも、ときどき水面に足を取られて着水してしまうオトボケ君もいるからこれまた面白い。チャレンジはしたのだが、この日は写真に撮れず。


テクニカルな話をすると、天塩川の最大の特徴は「テッシ」。
「テッシ」とは川幅全面に広がる50cmくらいの落ち込みのこと。
今でこそ浸食が進んで、ポイントポイントでしかちゃんとしたテッシは見られないが、昔はあちこちにあったようで、これが「天塩」の語源だとか。
そのテッシがまたなかなか大変。
艇上から見ると、川幅全面がすっぱり切れているように見える(堰堤のような感じ)のだけれど、一直線ではないし、なんだろうと思っていると、近づいてきてやっと落ち込みであることがわかる。
全面同じように落ち込んでいて、しかも浅いのでセーフティルートを探すのが大変。
めちゃめちゃぎりぎりという深度で切り抜けて、振り返ってじっくり確認してもどこがセーフティなのかよくわからない。それくらいどこの浅さも変わらないという感じ。
特にこの日は水量が少なめだったということもあって、テッシはかなり面倒になってたみたい。
とは言え、慣れてくれば普通に見切れるようになったけど。
他であまり見かけない地形だけに、慣れるまでが大変だった。
でも、総じて言えば、落ち込みは落ち込みなので楽しい♪


この日は美深のキャンプ場まで。美深のキャンプ場の端のカヌーポートでテントを張る。
キャンプサイトまではやたら遠いので、川の横にテント。
この日の夕飯は麻婆茄子。
夜、ほぼまん丸(実際には翌日が満月)の月が天塩川の川面を照らす。
その美しさにちょっと感動。

天塩川下見

大ちゃんwith Shadow

6時起床なのに、なぜか10時出発。なんだかんだでいつもこんな感じ。
ま、こういうのが楽しかったりもするのだが。
名寄まで一緒に走った後、そこから別行動。
今日は天塩川の下見をする。
思っていたより穏やかで倒木も少なく、特に問題はなさそう。
もちろん見える範囲でだけど。
途中美深の道の駅に寄ると、大ちゃんが待っていた。
最近話題のコロッケを食し羊乳を飲む。
羊乳はなんだか濃厚で不思議な味。
その後天塩川温泉へ。ここには川の駅があって、実は偵察ポイント。
いやー、いい温泉だった。
川にも入ったけれど、思っていたよりずっと温かい。
その後名寄へ戻り、橋の下でキャンプ。
やはり気の合う仲間とのキャンプは楽しい。
今日の夕飯は秋鮭のバターホイル焼き。
いや、うまい。


ちなみに俺の料理は大ちゃん仕込み。
だから俺の料理歴はちょうど4年。